2016年12月30日金曜日

アニメ化も決まったしちょっと昔を振り返ってみる



みなさん私の過去に興味がおありのようですね……。
31パーセントの私の進捗を気にしてくださったみなさん、ありがとうございます。
ちなみに進捗は今をもってダメです。
まあ息抜き。
そう息抜きですよ。人間そんなに集中力って続かないものだからね。

えー、というわけで、まあアニメ化が決まったんですよ。
来年の四月に。やばい。すごい。
私が電撃文庫小説大賞で「大賞」を受賞したのが、2013年の……何月?
発表をもって受賞とするなら、十月の電撃祭かな?
その辺です。

タイトルは『ゼロから始める魔法の書』。
いくつかの改題案が出ましたが、紆余曲折の結果「このままで行こうか」という話になりました。
最初はよくあるハウツー本を意識して書いていて、章タイトルも「魔法応用学概論」みたいな感じでつけてました。
装丁もハウツー本っぽくしたいなって思っていた。
二巻以降のサブタイトルも「●●の章」みたいな感じで続けていきましょうかって話もあったくらい。
八巻まで話が進んだ現在、その痕跡は最早跡形もない。

で、この受賞に至るまで私が何をしてたかといいますれば。

仕事だよ!!!
普通に毎日仕事してあくせく働いてたよ!!
お金もなかったから趣味で小説書き続けてたんだよ!!
趣味が高じて仕事になったよやったね!!

という感じです。
身も蓋もねーなって? みんな大体そうだろうって?
まあそうですよね。
じゃもうちょっとだけ自分語りするね。

私が受賞したのは26歳の時です。
子供のころからずーっと小説を書いてた私は、
高校生時代には乙一先生なんかの影響で「十代でデビビューできなきゃ才能ない」と思い込んでいました。
そして私には才能などというものはなかった。
そもそも作品を一つ書き上げる力もなかった。

小学生のころから書いてたと言ったな。あれは嘘ではない。
だが「作品」として物語を終わらせた経験は、高校生時点では恐らく一度もなかった。
私の記憶に残る限り一度もだ。
データでも残っていない。(※2019年追記 思い出した一回だけ完結させたわたしかサーチエンジン系のサイトでやってたコンテストのために中学生か小学生で)
そんなどこにでもいる、自意識が過剰に肥大した高校生でした。

そして普通に進学します。
私は特に頭がいい人間ではないのですが、
「その一瞬学んで乗り切る」という事は得意な方でしたので、
勉強は普通に好きでした。
いい点とれるといい顔できるしね!
ほら私とんでもないクソガキだったもんだから、「はぁー? こんなもんもわかんないの?」ってクラスメイトに上から目線で勉強教えるの超好きだったから。
工業数理やら電力技術やらの頭が痛くなるような数式には恐れおののきましたが、
関数電卓つかってOKなのでそんなにつらくなかった。
ぷさいにふぁーいぷさいにふぁーいあなたと私のシュレディンガー!
ネタが分からないひとは「シュレティンガー音頭」でぐぐってね!

でもずっと小説を書きたかった。
だから新卒で就職しませんでした。
先生方が「就職しないの?」って聞くんですけど「卒業して小説書くんで」って言い張ってました。
今だから言うけどこれ本当にダメだからね。
ちゃんと就職しようねみんな。
もったいないからね。
いや私も一瞬就活っぽい事はしたよ? でもあっさり心折れちゃったんだよダメ人間だから。すまんね! ごめんね!
で就職もせず卒業した私を何が待ち受けたかといいますれば。

母がくも膜下出血で倒れました。

この経緯めっちゃ面白いからいつか何かエッセイ的なの書きたいんですよね。
ドラマかよってリアルで口に出すレベル。
二十年くらいして両親が死んだら書きたいんですよね。
あ、先に言っておきますけど母は普通に生還して今も元気に生きてます。
麻痺もない。
奇跡かよ。
生存率30パーセント。
後遺症なしで生き残る確率はそこからさらに下がります。
その時「高額医療費制度」というものを知りました。
なんかしらんけど手術費用とか安くなる。すげー手続した。日本ほんとありがとう。

でも当時は大変でした。
私は毎日母のお見舞いに行きましたし、家族の食事の支度やら、洗濯やら、買い物やらで大忙しでした。ニートから専業主婦にランクアップかよ笑えるぜHAHAHA。
兄は当時大学院生で研究室に泊まり込みとかざらだったので、
主婦っぽい事をできるのが私しかいなかったんですね。ほら何せニートだし。
でも当時は心から「ニートでよかった! 本当にニートでよかった! 私が就職してたらこの地獄は目も当てられん!」と思ってました。
今も思ってる。実に運がよかった。

で、一年くらいかな?
母が少し持ち直してきたころに、主婦をやっていて「……お金必要だな」と実感した私は、とりあえず作家になるのは置いといて、就職する事にしました。
就職できた。
奇跡かよ。

もちろん安月給でしたが、生活には多少ゆとりが出ました。
で、そんなおり。
実は母がくも膜下出血で倒れた時、検査で「C型肝炎に感染してるよ。治療せんと死ぬよ」と言われてました。
いつから感染しとったんや。
ていうかかなり昔に「献血でおかしいって言われたけど、たぶん赤十字が間違えてる」とか言ってたなそういえば。いっこも間違ってなかったじゃないかちゃんとしてよお母さん!
昔輸血された時に感染したんならもう何十年も前だよそれお母さん!
くも膜下出血が落ち着いて、水頭症の心配もなくなり、ある程度懐に余裕もできてきたので、
いよいよC型肝炎の治療をすることにしました。

インターフェロン治療である!!

ググると出てきますが、これは国から助成金が出ます。
実質お金かけずに治せる。
でも「とりあえず自腹で払っておけば、後で返してもらえる」という方式でした。
母の薬を受け取りに薬局に行ったわたしは「いうても一万円あれば余裕だろう」と思っていたら、
請求金額まさかの三万円。
目玉が飛び出ました。
「一週間に一度三万円、とりあえず払っておく」というのがどれだけ厳しいか、国は分かっておられるか!?(手の平返し)
払えたけどね!! 仕事しててよかった!! お金大事!!
のちのち「院内処方にしてもらう事で、窓口での支払い無し」になりましたけどね!

そんなこんなでうちの母、C型肝炎からも無事生還。
不死身かよ。

ところでまだ終わらない。
母の生還とスイッチするように、父が人工透析患者になりました。
元から腎臓悪かったんだけどね!
血圧も高かったしね!
でもそろそろ限界だよね!!
そうかー母が持ち直すまでよく持ちこたえてくれた!

透析しながらどうにか仕事を続けている感じでしたが、
「これはさすがに長くはもたんぞい」と実感しました。
で、私は何をしてたかと言いますと、いまだに小説を書いてました。
時々「仕事で忙しいのによく小説なんてかけたね」と言われるんですが、
逆に時間がないから小説を書いてたんだと思います。
小説って、まったく時間を取らない趣味なんですよね。
ちょっときがむいたときにワードを開けば、数行でも話が進む。

ところで兄は無事に博士課程を修了し、気が付いたら博士になってました。
この兄についてもイロイロドラマチックストーリーがあるけどそこは割愛。
ちなみに兄の博士論文のスペシャルサンクスには私の名前が載っているらしい。
ひゅー兄弟愛ー!

で、私もちょっと本気出して賞を目指してみようと思いました。
「一年やる。だめなら諦めて、何か資格をとって今より給料のいい仕事につく」
そんな決意を胸に、何作か投稿して落ちた事はインタビューでも語ったんですが、
「これが最後。これで落ちたら商業作家は諦める」という気持ちで投稿したのが、
当時の私にしては「すべてのセオリーと好きなものを詰め込んだ私にとって一番面白いお話」であり、『ゼロから始める魔法の書』でした。
これが最終選考にも残らないなら、私に商業作品はかけないと思っていました。
受賞した。
奇跡かよ。
アニメ化決まった。
死ぬのかな?

そんな感じで今の私がここにいます。
こうして書くと結構ドラマチックじゃない?
兄には「とっくに諦めたんだと思ってた」と言われました。
投稿してるの言ってなかったしね。実はまだ書いてました。
意外だろう。私は意外としぶといぞ。

結局のところ、私の強みはそこだったのだと思います。
何はなくとも「続けてた」こと。
もうやめちゃおうかなと思った事は何度もあります。でもほかに趣味もないし、
長く続けて習慣化した趣味を捨てるのは難しかった。

私が受賞した当時は「小説家になろう」がかなり台頭してきていて、
蝉川夏哉先生の邪心に転生したらさっそく滅亡しそうなやつとかの名前を結構見かけました。
当時はよもや蝉川先生とリアル脱出ゲーをしに行く仲になるとは思いもよらず。
そういえば蝉川先生と初めて顔を合わせたのは、大阪で友野先生が開催しているボドゲ大会だったな……思えば遠くに来たもんだ。

ともかく、ほほーんそういうのもあるのか、と私も一瞬そちらに投稿する事を考えました。
いやどうだろう。賞金欲しかったから受賞しか狙ってなかったかも。
この辺の意思決定ちょっとあいまいですが、まあリアルタイムで読者さんの反応をもらえるのは間違いなく嬉しいし、実際のところ「一冊書き上げるまで孤独な闘い」っていうのは結構きつい。
今でこそなれましたけどもね! 一巻二巻くらいの時は、
そりゃもう周りの知人に「これどうおもう?」って確認したりしてましたよ。
でも臆病な自尊心と尊大な羞恥心が、
ポイント取れなかったり、おおやけの目にさらされながら選考に落ちる事を許容できなかった。
毎回名前を変えられる公募にこっそり投稿していました。
自慢じゃないけど私は低いプライドが高い。

いかがでしたでしょう。
私は昔昔のその昔、受賞したり、アニメ化したりする作品をかけるひとは、
何か特別な才能を持っているんだと思っていました。
でも私はびっくりするくらい凡人です。
努力家でもないし頭もよくないしなにかすごい経歴とかあるわけでもない。
私の場合は「続けていたから運と縁に恵まれた」という感じでした。
たぶん私の人生におけるステータスは「ラック」に極振りされている。

私の書いたものをよんで「これなら俺でもかける」と思う人が、きっとたくさんいるはずです。
私も昔そう思った。
でも創作なんて「自分もできそう」「面白そう」で参入してきた若者たちが、
なんとなく続けて練度が上がって、それで面白い作品がうまれたりするから賑わうものだと思っているから、私はそれをむしろ奨励したいと思うんです。

そりゃ傷つくよ!? 悪口言われれば腹立つよ!?
でも「面白い」って言ってくれる人が一人でもいるんなら、
私はその人のために今後も書き続けていられると思います。

よーし作家ぽくしめられたぞ。
とにかく今年一年、私がデビューしてから三年、本当にありがとうございました。
来年もよろしくおねがいいたします!ヾ( ╹◡╹)ノ゙


2016年10月6日木曜日

アニメ化

決まりました~!
やった~!
読者のみなさまのおかげです。
2017年に放送予定ですので、その時まで私もドキドキしながら待っていたいと思います。


月並みな挨拶で申し訳ないありませんね……。
なにか面白い話でもできればいいんですが、特にお伝えできる事もなく……
とにかくします! アニメ化!!

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#zeronosyo」

公式サイト
 https://t.co/3ix38fMrCQ

 要チェックチェケラ!

あと、サイン会にご来場くださったみなさん、お疲れ様でした&ありがとうございました。
「二度目やで」って方が結構いらっしゃってびっくりした。引きの強さにビックリ。

おみやげも頂いけて嬉しかったです。

サイン会の時は努めてテンションを上げているので、私の普段のテンションを知っているしずまさんに「どうした突然」という目で見られたりもした気がするけど、ただの気のせいかも知れない。
バックヤードでずっと「緊張する」「逃げたい」「こわい」「人いっぱいいる」「おひぃー」となっていた小心者です。
でもたくさんパワーをいただいた。ありがとうございます。

あとはアニメがドッキリではないことを祈るばかり。
原作もがんばっていきますので、なにとぞよろしくお願いいたします!





2016年8月11日木曜日

ブログ

はじめました
何かありましたらこちらにご報告していこうと思っています
たぶん
まだまだ手探り中